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冬眠なんかしてられない
半径数メートル的には慌しく過ぎた十日あまりでしたけど、ちょっとしたエアポケットの時間を利用して、久しぶりの更新なのです。
ありがたいコメントへのご返事は次回の更新にさせていただきます。

それにしても暖冬ですなあ。寒の戻りってやつを、あと数回繰り返せば、もう春が近づいているカンジなんだろうなあ。
酔った頬を冷やす風を心地よく感じる季節も、もうすぐ終わりですね。




空港まで繋がる高速道路が妙に白茶けて見えるのは、ハンドルを握る僕が感傷的になっているからなのだろうか。
以前よりは警備員の表情も穏やかになったらしい検問を通過するには、まだ少しばかり時間が早い。到着ロビーで、吸うわけでもない煙草に繰り返し火を点けながら、刻々と変わる到着便の掲示を見続ける気にもなれなかった。

僕はウィンカーを点滅させて、パーキングエリアへと車を向けた。
エリを乗せたノースウェストは、今、どのあたりを飛んでいるのだろうか。もう、国境線は越えたのだろうか。



二年前。
成田空港の第二ターミナルのロビーで、僕たちはその時を待っていた。チェックインを済ませたエリが持つ荷物は、ノートパソコンと僕が贈ったCoachのバッグだけだった。
巨大なディスプレイに映し出される、意味の無い映像をぼんやりと眺めながら、僕は彼女にかける言葉を見つけられないままに、無為に時間を消費し続けている。
エリも何も喋ろうとしない。二人で街を歩くときにいつもそうしていたように、僕のコートのポケットに手を入れて、額を肩に押し付けてきた。

「やっぱり行かない方がいいのかなあ」
そのままの姿勢でエリが呟いた。湿った声だった。それは、日本を離れる日が近づくにつれて、彼女が幾度も繰り返してきた言葉だった。食事のあとに。深夜の長い電話のあとに。共に過ごした夜のあとに。
「離れたら、きっと終わってしまうよね」
そう言ったあとに、彼女は決まって涙を流した。

そんなことは無いよ。答えの出せないエリからの問いかけを、僕はそうやって柔らかく否定する。実際のところは僕も同じ予感を持っているんだとは、どうしても言えなかった。どんな言葉を連ねたところで、二人の未来はあまりにも危く、儚いものに思えた。
学生時代から願い続けてきたことを実現しようとしている彼女の背中を押してあげることだけが、その当時の僕に出来る唯一のことだった。



フォードの4WDには少しばかり窮屈な駐車枠に車を押し込めた。ここに立ち寄るのは、二年前のあの日以来だ。
自動販売機でカップコーヒーを買った。ファストフード店で出される程度の味でしかないが、泥水のような缶コーヒーよりは、カフェイン中毒者の欲求を満たしてくれる。

発着便を表示させる小さなディスプレイを、行きかう人々が覗いていく。ある人は旅行者本人であり、ある人は彼らを出迎える人であり、そしてある人は彼らに別れを告げる人なのだろう。
ディスプレイを食い入るように見つめる女性がいた。今日の彼女はいったいどういう立場なのだろう。その華奢な背中に、エリの姿を重ねた。

「今日からは離れて暮らすことになるんだ」
二年前の僕がそのことを実感を持って受け止めたのは、このパーキングエリアだった。目まぐるしく変わる発着状況を見ながら、気の遠くなるような、足元が揺れるような体感を伴って、それが押し寄せてきたことを、僕ははっきりと覚えている。
エリは助手席から動こうとしなかった。



彼女が旅立つまでの数週間を、僕たちは共に暮らした。
やがて訪れる、もしかしたら二人を永遠に分かつことになるかもしれないリミットに向けて、時間は確実に過ぎていくのに、こぼれ落ちていく時間を僕はただ眺めているだけだった。

二人で食事を作り、同じ音楽を聴き、安っぽいハリウッド映画を観て、そして体を重ねた。それはこれまで何度となく繰り返してきた、いつも通りの週末の過ごし方と同じだった。
けれども、そんな幼い同棲生活の合間にエリがふと漏らす、「行かない方がいいのかな」という言葉は、世間にはいくらでも転がっているエピソードに違いない、でも僕たち二人が抱えるには切実で重すぎる状況を思い出させた。

僕たちが共有してきた時計は、二年前から針を進めることが無い。
彼女がメールで送ってくる今の写真と、頼りなげな電話回線を通じて聞こえてくる声は、決してリンクすることが無い。緩やかなウェーブを描く髪も、いつも潤んで見える瞳も、思い浮かべるエリはいつも二年前の姿のままだ。
けれども海を越えて、現実の僕たちが重ねてきた二年という時間は、決してテレビドラマの様に綺麗ごとで済むもので無かったし、確実に僕たちの何かを磨耗させ、何かを変えたに違いない。



山を切り開いたパーキングエリアに、冷たい風が吹き抜けた。会社からかかってきた忌々しい電話をどうにか処理する。これが、僕の中で二年という時間が確かに流れた事実の一つだ。あの頃は、仕事がプライオリティの中心を占めてはいなかった。
そして同じように二年間の時間が経過した、くたびれたフォードのイグニッションを回し、僕はアクセルを踏む。空港に向けて。



「そろそろ時間だ」
そう言って、僕はエリの髪に顔を寄せた。この甘い香りを記憶に留めておこう。
笑えるほどに感傷的な行為だけれど、いい加減な男だった自分が、誰かを真剣に想っていたのだという確かな記憶として。たとえそれが、痛みを伴う色褪せた残像になったとしても。

「行くね」
彼女は僕のコートのポケットから手を出した。それでも、冷たく湿ったように感じられるその手を、僕の手から離そうとはしなかった。
「ね、写真を撮ってもらおうよ」
数分後、彼女の子供っぽい提案に協力してくれた外国人旅行者によって、僕たちは同じフレームに収まった。
彼女の搭乗する飛行機の便名がアナウンスされている。

その写真は小さなフォトフレームの中で、今も僕の机の上にある。
唇の口角を上げて無理に笑おうとしているエリが、そこにいる。



到着ロビーの雰囲気は、旅行者だけでは無く、彼らを迎える人々をも高揚させる。目的の人を見つけるたびに出迎えの人々は声をあげ、彼らの名前を呼び、手を振る。
ある人は肩を叩き合い、ある人は抱き合いながら、それぞれの帰る場所、目指す場所に向かう。十数時間に及ぶフライトを終えた乗務員達は、一仕事を終えた疲れの見える表情でそれを横目に通り過ぎる。

何かに急かされるような落ち着かない気持ちでその光景を見ながら、僕は通路の奥に目を凝らす。
白いコート姿の女性の方が、先に僕を見つけだした。腰の位置で小さく手を振っている。

溢れる想いを正確に言葉にして伝える術を、僕は持っていない。黙って彼女の手を取った。
「おかえり」
細く長い指を持つ手が握り返す。
「ただいま」



これから僕たちは、ほんの少しだけ二人の時計を進めることになる。二週間後には再び、そのリューズを無理矢理にでも止めなくてはいけない時計だ。
その時までに、僕たちの間を否応なく経過した、それぞれの時間の隙間を埋めることが出来るのだろうか。

駐車場に向かう途中の短い時間、彼女は僕のポケットに手を差し込んできた。二年前のロビーでの時間がそのまま続いているかのように。
そう、これでいいんだ。先のことなど分からない。それは作り出すことなのだ。僕たちの時計は、頼りないながらもいま再び、緩やかに時を刻み始めたのだから。

二人を取り巻く時間が、やがて僕たちが追いつけないくらいの速度で流れ過ぎる日が訪れるのだとしても。
by fabken | 2007-02-11 16:58 | naked
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