僕は5歳のときに鍵盤楽器を始めた。もっともそれは、わずか2オクターブ分に過ぎない紙の鍵盤だったのだけれど。
幼い子供が薄い紙に指をなぞりながら、頭の中でどんな音を奏でていたのか、今の僕はそれを思い出すことはできない。
それからほどなくしてヤマハのエレクトーンが我が家に届き、僕は小さい手を広げ、短い足を伸ばし、拙く幼い音を紡ぎ始めることになる。
やがて妹がピアノに興味を持ち、両親ともにギターが多少なりとも出来たから、我が家はちょっとしたウィークエンドオーケストラになった。
残念なことに、隣人達には音階を持った騒音に聴こえたようだが。
我らがサンデーバンドの歌姫は母であり、「人間の声ってね、最高の楽器なのよ」と言う、歌姫というには少々薹の立った我が家のヴォーカリストが愛し続けている音楽がジャズだ。
"Mack The Knife"
Frank Sinatra with Quincy Jones and Orchestra
これをずっと探していたのだけど、やっと見つけた。
クインシー・ジョーンズ・オーケストラ(すごいメンツ!)をバックに歌うフランク・シナトラ。ずいぶんと老いているけれども、やはりこの人の声は素敵だ。
そう、Blue Eyes。
彼は歌う。
「サッチモが歌ったこの歌は素晴しかったよ。もちろんレディ・エラのやつもね。でもね、少々くたびれたブルーアイズ(シナトラのこと)もね、まだまだやれるんだよ。クインシーの最高のバンドと一緒にね!」
それにしてもシナトラがこの中で歌うように、バックを固めるメンバーも凄い。
ブレッカーブラザーズ、ジョージ・ベンソン、ボブ・ジェームス、ジョー・ニューマン。
クインシーも最高に楽しそう。
イントロのスキャットはサミー・デイビスだよね。
そうそう。
この歌の中でもシナトラが触れているエラ・フィッツジェラルド。彼女とシナトラのデュエットも素晴しいんだ。
"The Lady Is A Tramp" Frank Sinatra & Ella Fitzgerald
これだけ自在に歌えたらどんなに楽しいだろうって思うけれど、残念ながら僕にはその才能は無かったみたいだ。
でもね。
僕はこの歌に、この歌い手に感動することができるし、良き隣人達の迷惑を気にしさえしなければ、腹の底から大声で笑って歌うことができる。
我らがホモ・サピエンスのご先祖だって、きっとそうだったはずさ。
晴れた日には狩りのあとに仲間達と火を囲みながら、そぼ降る雨の日には洞窟の中で。
きっと口ずさんでいたはずだよ。
いま生きている、その奇跡をね。
「人間の声ってね、最高の楽器なのよ!」